空き家
空き家になったからといって、家が空になるわけではない。
人がいなくなったあとで、かえって濃くなるものがある。
そこでは、もう食事は作られない。朝、考えごともせずに雨戸や引き戸を開ける人もいない。 冷蔵庫の低い唸りも、やかんの音も、誰かが脱いだ上着をそこらへんに置いて夕方まで忘れているようなこともない。 そういう、どうでもいいようで、暮らしには欠かせなかった音が消えている。
けれど、消えたのは暮らしの音であって、家の気配ではない。 花咲の家にはまだ光が入り、まだ空気が動き、人がいなくなったあとにしか濃くならない重さが残っていた。
空き家だと言うのは簡単だ。誰も住んでいない家。使われていない家。次にどうするか、まだ決まっていない家。 そう言ってしまえば、話が片づいたように聞こえる。けれど、家族の古い家は、暮らしがなくなったからといって、 気持ちまで空っぽにはならない。むしろ逆のことが起きる。日々の用事が抜けたぶんだけ、残るものの輪郭が濃くなる。
毎日使われている家では、深いこともたいてい習慣の中に埋もれている。起きる。歩く。炊く。洗う。座る。話す。 戸が開く。湯が沸く。誰かが何かをどこかへ置いて、そのまま忘れる。 そういう繰り返しが、家の中にある面倒な気持ちを少しずつ散らしてくれる。 言葉にしなくても一日が進むから、大きなものも大きなまま表に出ずに済む。
それがなくなると、今まで散っていたものが急に目立ちはじめる。 待たせてしまっている感じ。片づいていない時間。言い出しにくい責任。なつかしさ。気まずさ。 ちゃんとしなければという気持ち。まだそう簡単には手放せない気持ち。 家は動いていないのに、そういうものだけが、静かな部屋の中でだんだん濃くなる。
人がいなくなっても、気持ちは一緒に出ていかない。
むしろ、あとに残って、前よりはっきりしてくる。
人が住んでいる家は、小さな問いにその都度答えてくれる。ここに誰がいるのか。何がいま大事なのか。 今日、いちばん先に気にしなければならないのは何か。暮らしのある家は、使われることそのもので意味を返してくる。
空き家は、そうしない。答えが少なくなる。だから、人のほうがいろいろな気持ちをそこへ持ち込みやすくなる。 ある者には放置に見える。ある者には宙ぶらりんに見える。ある者には、誰もちゃんと口にしてこなかった重荷に見える。 またある者には、まだ終わっていない家族の時間に見える。 無駄に見える者もいれば、簡単には切れない縁に見える者もいる。
建物は黙って立っているだけなのに、誰が戻ってきたのか、誰が戻ってこなかったのか、 誰がまだ責任を感じているのか、誰が責められている気がしているのか、そういうものが家のまわりに集まってくる。 家そのものは何も言わない。ただそこにある。それだけで、人のほうが勝手に自分の気持ちを映してしまう。
道から見れば一軒の家にすぎないものが、家族の中では妙に大きくなっていくことがある。
離れて暮らしていれば、こういうことは少し楽になるようにも思える。もう別の土地で生活しているのだから、 古い家との結びつきも薄くなるはずだ、と。けれど、距離はいつも気持ちを薄くするわけではない。 ただ、持ち方を変えるだけのことがある。
近くにいればできる小さな世話が、遠くにいるとできない。雨の前に樋を気にすることも、 昼すぎにちょっと寄って様子を見ることも、車で通りかかったときに敷地の端を目に入れることもできない。 けれど、できないからといって、その家の意味がなくなるわけではない。 気軽に抱えるには遠すぎるのに、忘れてしまうには大事すぎる。だから、かえって頭の中で重くなる。
これが空き家のやっかいなところだった。手では何もしていないのに、気持ちのほうではずっと何かをしている。 思い出したり、気にしたり、先のことを考えたり、まだ終わっていない感じを抱えたりする。 その重さは外からは見えにくい。けれど、なくなってはいない。
花咲の家は、まだ本格的には開かれていなかった。まだ丁寧に数え上げられたわけでもなく、 物や蔵を通して見直されたわけでもなかった。けれど、それでももう家族の中では十分に働いていた。 単なる作業では済まない家だったからである。
管理しにくい場所は、たいてい、考えないでいることも難しい。
家が静かに見えれば見えるほど、人の中ではいろいろなものが動くことがある。 部屋は静かだ。廊下も静かだ。敷居も静かだ。けれど、家に結びついている人たちは少しも静かではいられない。 考えが動く。立場が固くなる。説明が増える。ほかの家族が何を思っているのか想像する。 近所が何を見ているのか気になる。先延ばしにした先で、何が悪くなるのか考えはじめる。
誰かは子どものころを思い出し、もっと来ていればよかったと思う。誰かは、段取りと計画できれいに片づけたいと思う。 家のほうは動かないのに、人のほうだけが動かされる。 そしてあとで蔵が開き、話がもっと美しく見えはじめたとき、この重さが最初からそこにあったことを忘れてしまいそうになる。
花咲の古い家には、先延ばしにされた判断、家族の期待、外から見える荒れ、外からは見えない気づかい、 そして日々の暮らしを失ったあとの記憶が、もう十分に詰まっていた。 家族が一緒に立って見る前から、そこはもう、がらんとしてはいなかった。
次に進むと、その重なりはもっとはっきりしてくる。家は、みんなに同じ意味では現れていなかった。 それぞれに少しずつ本当で、少しずつ足りない、いくつもの現実に分かれていた。
外から見れば空いている家が、内側ではもう気持ちでいっぱいになっていた。